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西山坪之内遺跡から県内最大のヒスイ勾玉

 西山町教育委員会は19日、同町坂田・新保地内の丘陵地で行われていた町道改築工事に伴う「坪之内遺跡」発掘調査で、弥生時代後期(2世紀後半―3世紀前半)と見られる長さ4.7センチで全国でも十指に入る大きさのヒスイの勾玉(まがたま)が出土したと発表した。半透明の鮮やかな緑色をとどめ、ヒスイの産地である糸魚川市の後生山遺跡から1998年に出土した県内最大のものと並ぶ大きさ。2月20日から3月24日まで西山ふるさと館で展示し、町のホームページ(http://www.town.nishiyama.niigata.jp)でも公開する。

 勾玉は昨年11月22日、坂田地内の丘の試掘で頂上を巡る溝(幅約1メートル、深さ約50センチ)のわきから見つかった。長さ4.7センチ、厚さ1.9センチ、重さ49グラム。半透明の緑色で一部に白い模様がある。頭部は丸く、中央にひもを通す穴が開けられ、背部に装飾風のくぼみがある。尾部が平たんなことや付近で出土した土器のかめの口の形から弥生後期のものと見られる。

 同時代で全国最大のヒスイ勾玉は奈良県唐古・鍵遺跡から出土した長さ5.3センチのもの。昨年9月に同遺跡から出土した勾玉は今回の西山町と同じ長さで、全国7番目の大きさとされた。大型のヒスイ勾玉は関東、畿内など産地から遠い所での出土が多いが、今回は比較的産地から近い出土だ。

 加工された場所は明らかではないが、西日本に多い形とされる。東日本では祭祀(し)に使った後、溝に入れることが多い。政治的、宗教的権力者が住んでいた集落の可能性もあり、遺跡の性格などについて今後の調査が待たれる。町では5月から発掘調査を再開し、ヒスイの産地特定につながる成分分析も行う。

 町は県代行事業の町道付け替え工事に先立ち、2000年6月から調査対象となる約7,000平方メートルの発掘を北側の新保地内から行った。江戸時代以降と見られる大小11基の塚群の調査で付近を約1.5メートル掘り下げたところ、縄文時代中期の集落跡から竪穴住居7棟や遺構が見つかった。同じ年の8月には縄文土器、石おの、石の矢じりなどに混じり、長さ5.5センチ、幅2.9センチ、厚さ1.9センチ、重さ37.5グラムのヒスイの大珠(たいしゅ)が出土した。大珠はしずく形で縦半分に割れ、加工された穴が開いていた。

 2001年10月から約150メートル南側の丘の試掘に入り、頂部で竪穴状遺構や今回勾玉が見つかった溝などが地表から約40センチの所で見つかった。また、隣の埋没谷では大型の掘り込みと縄文土器、土師(はじ)器、石おのなどが出土した。発掘開始以来の出土品は縦34センチ、横54センチ、深さ15センチのケースで80箱に上った。

 会見で町教委の三島千穎教育長は「町内には延喜式(927年)の神名帳に記された式内社の名を持つ古い神社が4つもある。早くから海を通じ、畿内、山陰辺りと交流があったのではないか」と話した。

(2002/ 2/19)

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