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蓮池さん・奥土さんがふるさとに

 1978年に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致され、24年ぶりに帰国した柏崎の蓮池薫さん(45)、奥土祐木子さん(46)が17日午後、ふるさと柏崎に里帰りした。2人は市役所、自宅で待ち受けた同級生や近所の人から「かおる」「ゆきちゃん」と声を掛けられ、懐かしい笑顔と拍手で迎えられた。2人は家族水入らずで24年ぶりの団らんを過ごし、最初の2日間は同級生と会うなどそれぞれで過ごし、その後は2人で外出するなどの計画を考えるという。

 蓮池さん、奥土さん、佐渡真野町の曽我ひとみさん(43)と、出迎えに上京していた家族らは同日午前、JR東京駅から上越新幹線で新潟駅に到着。柏崎の2人と家族は市のマイクロバスで午後3時前、市役所に着いた。バスから降りた蓮池さんは出迎えの人たちに深々と一礼した。旧西中通中学時代の野球部の同級生に「かおる」と呼ばれて振り返り、笑顔で旧友の輪の中に駆け寄ると抱き合った。蓮池さんと旧友らは互いの実感を確かめるように何度もほおを触り合った。

 市民会館大ホールで行われた帰郷会見は黙とうで始まった。北朝鮮に拉致され、「死亡」と伝えられた鹿児島県の増元るみ子さん=失跡当時(24)=の父正一さん(79)がこの日未明に亡くなったからだ。蓮池さんは「24年ぶりにふるさとの柏崎の土を踏み、感慨無量です」と切り出し、「昔の記憶をたどりながら、車に乗ってきた。ふるさとに滞在する期間、その思い出をたどりたいつもりで、行きたい所もあるし、会いたい人も多いが、お父さん、お母さんに親孝行するつもり。親孝行を中心に滞在期間を過ごしたいと思う。皆さま歓迎してもらい、ありがとうございました」と話した。奥土さんは「私たちの行くところ、行くところ、日本の皆さまが温かく迎えてくれ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」とあいさつした。

 蓮池さんの父親秀量さん(74)は「大勢の人の励ましで、24年のどん底からはい上がることができた。再会の瞬間、あの感激を忘れず、一緒に運動してきた全員が帰るまでがんばる」とあいさつ。母親ハツイさん(70)は「横田めぐみさんと一緒に帰れず、残念で仕方がない」と話した。兄透さん(47)は「2人の永住帰国の見通しは立っていない。10件13人の拉致被害者の真相解明はまだだ。これからがスタート。弟を含め、全員の早期帰還を目指す」と述べた。

 奥土さんの父親一男さん(75)は「5人が帰宅し、家族団らんの日を設けることができたのは、長い間の皆さんの支援のおかげ」と喜ぶ一方、「『死亡』とされた人たちの死因など、家族が納得のいくまで調べるべきだ」と究明を訴えた。母親シズエさん(72)は「秋のよき日に子供たちが帰ってくることができた。これも皆さんの温かい支援のおかげ。胸がいっぱい」と感謝した。

 前日の家族連絡会と被害者との面談で死亡とされた被害者のうち、めぐみさん以外の情報が出なかったことについて、蓮池さんの兄透さんは「有本さんらヨーロッパルートが分からないのは理解できるが、増元さん、市川さんの情報は何かあると思っていたので残念だ」と述べた。

 市役所駐車場で抱き合った中学時代の同級生で野球部の3塁手だった小林泉さん(45)は「感激だ。会えてよかった。薫はそのままだった。太ったなーと言われた」と再会の喜びを爆発させた。捕手だった蓮池さんとバッテリーを組んだ元投手の帆刈昇一さん(45)は「自分たちの方に駆け出してくれた。それがうれしかった。何も言わなかったが、しっかり大きな目で見てくれた」と感激を語った。

 同級生でつくる「再会をめざす会」会長の小山雄二さん(45)は「市民会館の舞台のそでで蓮池と会った。『小山か』と向こうから声を掛けてくれた。蓮池から(滞在中の)リクエストがあればこたえたい」と話し、「私たちはようやく再会への第一歩ができたが、まだ再会ができていない家族がいる」と気を引き締めた。

(2002/10/18)

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