園児の激励を受け、次々と出発する除雪車=22日、市内藤元町の市除雪基地 (2024/11/25)
海外青年協力隊として派遣される小林虹矢さん(右)と中西千里さん(左)。桜井市長から激励を受けた=22日午前、市役所市長応接室 (2024/11/22)
昭和天皇の食事を再現した「秋幸苑の夕べ」。参加者は見頃の紅葉とともに味わった。中央奥が第15代当主の飯塚さん=17日、市内新道の飯塚邸 (2024/11/21)
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朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致(らち)疑惑で、新潟市の被拉致日本人救出の会(小島晴則会長)は29日、昭和53年に柏崎で行方不明になった市内土合、大学生・蓮池薫さん=当時(20)=の42歳の誕生日にあたり、市内の両親を訪ねて激励し、救出への決意を新たにした。
蓮池さんは同年7月31日夕、市内平井、美容指導員・奥土祐木子さん=当時(22)=と旧市立図書館で待ち合わせた後、失跡した。事件から21年がたち、29日は蓮池さんの42歳の誕生日だ。両親を訪ねたのは救出の会の小島会長(68)と幹事の馬場吉衛さん(78)。馬場さんは、昭和52年に新潟市で行方不明になった中学生・横田めぐみさん=当時(13)=が卒業した小学校の元校長だ。
小島会長は「一家団らんで本人の顔を見るまで、『おめでとう』はおあずけにしたい。私たち自身の決意として、1日も早い救出に努力したい」と激励の色紙を手渡した。会の2人はアルバムを囲み、両親から蓮池さんの思い出話などを聞いた。
父親の秀量さん(71)は「支援の人に支えられ、私たちも頑張ることができる。政府は(日朝交渉で拉致問題の解決を最優先するとした)私たちとの約束を果たしてほしい」、母親のハツイさん(67)は「息子がいなくなってからの時間の方が長くなり、幼いころの思い出が薄れてきた。母親としてあの子に何をしてやれたのだろうと思う」と言葉を詰まらせた。
小島会長は「北朝鮮をめぐる政府の対応で、拉致という言葉が必ず出るようになったのは運動の大きな成果だ。日朝交渉で拉致問題を大前提に政府がき然とした態度を貫けば、問題は必ず解決する」と話した。
(1999/ 9/29)
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