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地元住民の畑で、自生のシソを摘み取らせてもらう参加者=6日、市内高 柳町石黒 (2024/07/13)


中央地区コミセンの防災講座。避難所になる12の町内役員が集まり、段ボールベッド、パーティションの組み立てに挑戦した=6日、同コミセン (2024/07/11)


相田院長(前列左から3人目)、長谷川副院長(同4人目)と、かつて例のない大人数となった臨床研修医。深刻な医師不足の中で期待が集まる=市内北半田2、柏崎総合医療センター (2024/07/10)

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蓮池薫さんの両親、決意新た

 初の日朝首脳会談で金正日総書記が日本人拉致を認め、謝罪してから17日で1年になる。北朝鮮による拉致被害者の蓮池薫さん(45)の父親秀量さん(75)、母親ハツイさん$$71はこのほど、柏崎日報社の取材に応じ、「孫たちや死亡とされた未確認の全員が帰国するまで、手放しで喜べない。体が続くまで頑張りたい」と市民に支援を呼び掛けた。薫さんと妻祐木子さん(47)の生存情報、24年ぶりの帰国、日本で子供を待つ決心。両親には「波乱万丈」の1年だった。

 「タラップから降り来る2人の感動はこれから生きる灯(あかし)となりぬ」。秀量さんが昨年10月15日、羽田空港での再会を詠んだ歌だ。それまで24年、薫さんは音信不通。万が一の時の覚悟は決めていた。「それが生きて帰ってきたのだから、もう奇跡。今もこれは夢じゃないかと。それほど、この24年は長かった」

 ハツイさんは「あの国でよく頑張って生きていてくれた」と感謝した。親として生きていることを信じ、本人の戸籍や住民票は消さないという決心できた。1997年3月、家族連絡会が発足し、北朝鮮による拉致という確信を深めてからは、さらにその思いを強めた。しかし、日朝首脳会談でもたらされた他の被害者の安否情報はあまりに衝撃的だった。

 なぜ、手紙1つも書かなかったのか!?。秀量さんが詰め寄ったことがある。薫さんはつらそうに「分かってくれ」と言った。平壌市内で日本人観光客を見かけても、カメラの背景に写らないよう避けるほどだった。月に1度の買い物には当局の担当者がつく。観光客に手紙を託そうと思ったことはない。「だからこそ、会えたのだ」と秀量さんは受け止めた。

 家には子供二人の部屋がある。薫さん、祐木子さんは寝具をそろえ、先日も衣服や下着を買ってきた。見守る秀量さん、ハツイさんは「本人たちは安倍官房副長官、中山参与を信じている。どうか、その思いを裏切らないでほしい」と訴える。全面解決へ、気持ちを奮い立たせる毎日だ。

(2003/ 9/13)

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