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西山町五日市の大池で羽のけがをして4年を過ごした白鳥が昨秋死に、エサの世話をするなど成長を見守ってきた地元住民がこのほど、池のほとりに供養の石碑を建てた。
同町では白鳥の飛来地として長嶺が知られるが、五日市では1998年秋、5羽のファミリーが飛来。その際、幼鳥1羽が電線に羽を引っ掛け、けがで飛べずに北に帰れなくなった。傷つき、家族と離れた幼鳥のために住民はエサの世話を始め、幼鳥は池のほとりの木陰で夏の暑さをしのぐなどして成鳥になった。1度は他の1群と飛び立ったものの、近くの畑で力尽き、池に戻ったこともあった。
昨年9月7日、姿が見えなくなり、数日後、花期が終わったハスの陰で死んでいるのが見つかった。住民は池のほとりに死がいを埋め、先月、南側に石碑を建てて埋め直した。白い碑の表には「4年間の共存 1羽の白鳥永眠の碑」、裏には渡辺丈夫総代ら4人の名前と「五日市集落一同」。発案者の加藤猛さん(63)は「家族と離れて暮らす心細さは鳥といえども想像がつく。白鳥のおかげで自分は元気をもらった。死んで粗大ごみでは忍びない。集落も元気にしたい」と話す。
傷ついた幼鳥を守ろうと親が別の鳥を威かくしたり、親が池の氷を割って進む最後尾をけがの1羽がつき従った姿が、住民には浮かぶ。翌春の旅立ちでは3月に入って最後まで家族がそばを離れなかった。近くの主婦は「白鳥の家族愛を見たようだ」という。
五日市の白鳥は18日朝で98羽。間もなく北帰行の時期を迎える。
(2003/ 2/20)
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