内覧会で同社のLNGポンプ部品を説明する飯塚社長(中央)=25日、柏崎フロンティアパークの第一製造工場 (2024/12/26)
院内では久々のコンサート。クリスマスツリーが飾られる中、ピアノの調べで楽しませた=24日、市内北半田2、柏崎総合医療センター (2024/12/25)
解散が決まり、最後の稽古を行った「空和会」=20日、市武道館 (2024/12/24)
>>過去記事一覧
1872(明治5)年開業の日本最初の鉄道ターミナルを復元した「鉄道歴史展示室・旧新橋停車場」が10日、JR新橋駅前の旧駅舎跡地にオープンした。復元された線路には日本石油加工(現・新日本石油加工)柏崎工場に保管されていた双頭レールを敷設。日本鉄道史の貴重な財産として保存展示していくことになった。
旧新橋停車場は1914(大正3)年の東京駅開業と同時に貨物専用の「汐留駅」(建物は関東大震災で焼失)となって日本の物流を支えたが、1986年には使命を終えて廃止された。跡地再開発のため1991年に発掘調査が行われ、建物の礎石などを発見。1996年には国の史跡に指定された。東日本鉄道文化財団とJR東日本では、鉄道唱歌にも歌われた日本鉄道発祥の地を保存・復元する事業を計画し、2001年から建物の工事を進めてきた。
建物の外観は当時の資料が残っていたことからほぼ正確に再現出来たが、当時使われていた双頭レールの敷設は計画当初から最大の課題だった。国内にはほかに転用された断片があるだけで、敷設できるようなレールは残っていないと見られていた。2002年1月22日付の「交通新聞」(交通新聞社発行)は復元工事の開始を伝える中で、線路の再現に困っている記事を掲載した。
この記事を読んだのが市内鯨波のJR東日本社員・田辺洋夫さん(54)。田辺さんは以前、柏崎地方の鉄道史を調べる中で、2001年3月に閉鎖された日石加工柏崎工場内に1873(明治6)年に英国のダーリントンで製造され、日本に輸入された双頭レールが当時の24フィート規格サイズ(7.3メートル)のまま保管されていることを知っており、東日本鉄道文化財団に情報を提供。財団では当時の日本石油(現・新日本石油)、日本石油加工の本社を通じて柏崎工場や前工場長の森敏昭さん(62)に問い合わせ、レールがあることを確認。両社が財団にレール2本を寄贈し、昨年秋に柏崎から新橋へ運ばれた。
前身の日本石油柏崎製油所の開設は1899(明治32)年で、翌年には柏崎駅から専用線路が敷設されており、「鉄道開業時に輸入され、どこかで使用された後に柏崎で使われたり、交換用に保管されたらしい。長い歴史の中で、日石の多くの先輩が大切に保管してくれていたおかげ。感無量です」と森さん。田辺さんも「柏崎のレールが鉄道発祥の地に敷設されたことがうれしい」と話す。
(2003/ 4/12)
※柏崎日報社掲載の記事・写真は一切の無断転載を禁じます。
すべての著作権は柏崎日報社および情報提供者に帰属します。新聞記事・写真など、柏崎日報社の著作物を転載、利用するには、原則として当社の許諾を事前に得ていただくことが必要です。掲載についてのお問い合わせは、お電話 0257-22-3121 までご連絡ください。